よくこういう事を言っている人がいた。
あの人が天才なのは誰よりも努力しているからなのだ。
そういってる人がいた。
でも自分は本当にそうなのかと思っていた。
そしてそれが正しいか正しくないかをひたすら考えた。
それで出た結果は、天才と凡人は全く別の存在であるということを導き出した。
今日はそれを書いていきたいと思います。
天才と凡人ではそもそも役割が違う。
これをまずわかってない人が多すぎる。
わざわざ天才と凡人に分けられるのには意味がある。
人生を作ったやつがいるならその人物は相当のIQの持ち主だ。
そうでなければいろんな職なんて存在しないだろう。
天才とは何かというと・・・・・・
業界を発展させるために生まれた存在。
わかりやすく説明するなら、人気が落ちていた将棋界が注目されるようになったきっかけをつくった藤井聡太がいい例だろう。
藤井聡太が出てこなければ多分将棋ブームが来ることはなかった。
藤井聡太のような飛びぬけた存在は、人々の注目の的となる。
そういう人物がいると、私もみたい俺も見たいという人が現れ、どんどん人が集まり、業界が発展するということである。
皆がみんな努力して藤井聡太のような存在になれるなら、どんな業界も発展しているだろう。
ただできる人間を天才と呼ぶんじゃなく、業界を発展させるという役割を与えられた人間を天才と呼ぶ。
そもそも天才と凡人では、器が違う。
わかりやすく説明するなら、レベル100がマックスのキャラとレベル80がマックスのキャラがいるとする。
どちらも同一人物で1レベ上がるごとに伸びる成長量と初期ステータスが同じとしたとき、どちらが勝つと思いますか?
そんなのどう見たって前者のレベル100の方でしょう。
努力というのはあくまでレベル上げです。
ドラクエでいうなら、99レべが限界なのにメタル系のモンスターを倒してたら、100レべを超しました!
みたいなのないでしょ?
そういうシステムがあらかじめ用意されてれば別ですが。
努力は新しい才能を開花させるのではなく、元々ある自分のポテンシャルを引き出すに過ぎない。
自分のポテンシャル以上のものが出ることはない。
つまりそれで人並み外れた実力を手にした人物は、元々のポテンシャルが人並み外れているというだけ。
その分試練もかなり多いというデメリットがあるけども
努力の量が一番多い人が一番の天才とは限らない。
同じ天才であっても成長スピードも違うし、限界値も違う、何より環境が違う。
同じ努力しても片方は効率の悪い練習で5時間、もう一つは効率のいい練習で2時間。
表面的な時間で見れば前者の方が実力がありそうだが、ちゃんとその人の伸びるような練習をしっかり2時間やっているほうが、無駄がないので後者のほうが実力があるような気がする。
これがいわゆる環境の差であると俺は思う。
それに何よりこの世には人ならざるような才能を与えられてる人もいる。
IQ200の人は、一回覚えたことを忘れることがないため、高校生ぐらいから勉強を始めても東大に入れてしまうという話を聞いたことがある。
普通の人間は、何時間もやらなきゃいけない。
なぜなら忘れるから。
ですが IQ200の人は、一回覚えたことを忘れることがないため、そんなに勉強しなくてもいいということ。
もちろん努力しなくてはダメではあるが、こういった人間が少数でもいるわけだから努力の量だけが全てではない。
これが成長スピードについてである。
そして最後に限界値。
どんなに努力しても、器が小さければ、天才といわれるような高い領域には届かずに終わる。
そのいい例は、英才教育を受けたからと言って、皆が業界で一流と呼ばれるポジションに行けるわけではないのがいい例だろう。
小さいころ優秀でも大人になったら全然大したことない(といっても上の方と比べたら)になってしまう人がそれなりにいるのが証拠だと思う。
最後に
俺の考えが必ずしも正しいわけではないが、何でも自分の都合のいい解釈を人に押し付けてくる人間がいるので、本当にそうなのか考えた結果がこの記事である。
一番すごい人が一番努力してるかなんてわからない。
2番の人が一番努力しているのかもしれない。
そういったところに頭の回らない人間は、視野が狭いため伸びしろがないと思う。
逆にそうとは限らないと考えられる人は、考え方によっては自分の今まで見えてこなかったものが見えてきて、それが一生の宝になるかもしれない。
天才のよくいう常識だと思われていることが本当に正しいのかを考えることが大事というのは、そういう事なのではないだろうか?
天才は逆転の発想。
今何をやってもうまくいかない人は是非使って見てほしいです